「銀座といえば“テイメン”でしょ」
2015年にテイジンメンズショップが55周年を迎えたとき、銀座駅に掲出したデジタルサイネージのために私自身が書いたキャッチコピーである。
銀座が、日本のファッションをリードしてきたことは間違いない。明治維新の洋装化で、背広のオーダーを広めた仕立屋。既製服を大きなビジネスに育てる役割を担ったデパート。ニューヨークの五番街と比肩するほどに立ち並ぶ、ラグジュアリーブランドのメガストア。時代によって街の主役は入れ替わるが、銀座はいつも輝いている。
1960年に銀座4丁目にオープンしたテイジンメンズショップは、すぐに街の主役に躍り出た。当時は、石津謙介が手がけたVANというブランドが世の中を席巻していた。背広を生んだ国・イギリスではなく、アメリカの文化がプンプンと薫るブレザーやボックスシルエットのスーツ。それらが買える総本山の役割を、テイジンメンズショップが担ったからだ。
それまでは、スーツやジャケットは大人が仕立てるものと相場が決まっていた。それに対して、VANはファッションを若者に解放した最初のブランドだと言っても過言ではない。“for the young & young-at-heart”というキャッチフレーズ。男性ファッション誌 メンズクラブ(1954年創刊の『男の服飾』を1963年に改称)との連動企画。それらに熱狂した若者たちは、テイジンメンズショップを“テイメン”の通称で呼び、ほど近いみゆき通りを闊歩した。VANのロゴマークが入ったショッパーを抱えて集うみゆき族の熱狂に、築地警察署が取り締まりに動いたというこぼれ話もあるほどだ。
1980年代から90年代の後半にかけて『メンズクラブ』編集部に在籍した私にとっては、語り伝えられる伝説の時代の逸話。「銀座といえば……」、仕立屋でもデパートでもラグジュアリーブランドでもなく、「“テイメン”でしょ」と断言するのは、このような理由からである。
テイジンメンズショップはまた、世界のファッションを日本に紹介する役割も担った。1969年に取り扱いを開始したバラクータのスイングトップ、ジョン スメドレーのセーター。セレクトショップという呼称が、まだ一般的ではなかった時代のことだ。70年代から80年代にかけてはラルフ ローレン、ポール・スミス、マーガレット・ハウエルといったデザイナーブランドをいち早く紹介。90年代に入ると、ジョンロブ、グローブ・トロッター、ラベンハムといった英国の名門ブランドを取り扱う。かくして、“テイメン”は時代を乗り越えて流行の発信地であり続けている。
じつは、2015年に迎えたテイジンメンズショップ55周年のときに、もう一つ忘れられない出来事があった。60年代、70年代、80年代、90年代。ここに書いてきたようなエピソードを、周年パーティーで集った皆さんの前でお話しする機会をいただいた。いざ話す段になって、私は冷や汗をかいた。なぜならば、集まった来賓の顔ぶれを見ると、日本のメンズファッションを動かしてきた、そして今でも多大なる影響力を持つ重鎮ばかりだったからだ。尊敬する諸先輩に恐る恐る尋ねると、「若いころに“テイメン”で働いていたから」「いやぁ、俺もOB」と口々に答えられたのだ。
恐るべき、“テイメン”! 先駆者として、目利きとして、インキュベーターとして。メンズファッションの歴史と進化は、テイジンメンズショップが担い続けている。
著者プロフィール
山本晃弘 (やまもとてるひろ)
服飾ジャーナリスト。『アエラスタイルマガジン』エグゼクティブエディター兼WEB編集長。『メンズクラブ』『GQジャパン』などを経て、2008年に編集長として『アエラスタイルマガジン』を創刊。2019年にヤマモトカンパニーを設立し、ブランドのコンサルタントや着こなしを指南する服育アドバイザーとしても活動している。著書に『仕事ができる人は、小さめのスーツを着ている。』がある。
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